アントニオ猪木さんの旅立は皆さんご存知の通り。
昭和18年2月20日生まれの血液はAB型。
「元気ですか~! 1,2,3,ダア!!」
ビンタで感謝され痛くとも喜ばれる。
タイガーゼットシンとの闘いの時、モハメドアリ、多くの世界的に有名な方との壮絶な戦いには、
手に汗をかきながらテレビを見た記憶があります。
本名 (猪木 寛至) お名前から判断しても数字以外のところにある深堀をしてみると素晴らしい可能性を持ち
その使命以上の人生を全うされたと思います。
幅広い角度からみて凝縮してみると
「全てのものを引き寄せ全てを呑み込む多面的な魅力を持ち人を魅了する」
「物おじせず少々の事ではたじろかない。」
人間ですから早かれ遅かれいずれは、、、、。
その猪木さんも意外に小学生の時は動きが鈍く、走る足も遅く
「ドンカン」 というあだ名で呼ばれていたそうです。
ただ当時から正義感が強く女の子をいじめた男子をやっつけたというエピソードが紹介されていました。
ただ、実家でおじいちゃんの経営する石炭問屋が倒産。
極貧生活を抜け出すため一家でブラジルへ移住するも現地のコ―ヒ―農園で早朝から夜まで過酷な肉体労働を強いられた、とテレビのインタビューで当時を振り返る際、目に涙を浮かべる事も。
想像を絶する過酷だったと。
そして奴隷労働から解放された事から、ある時ブラジルでのプロレス興行で力道山の目に止まったことから
17歳の時誘われるまま帰国。
アントニオ猪木としての新たな人生のスタートとなり、
結果的に【元気ですか~!】と、多くの希望や勇気を与えて下さいました。
闘病末期には、強いところも弱いところも公開。
人生最後の最後まで勇気と希望を多くのプロレスファンに与えて下さいました。
実は以前このブログ欄で紹介しましたが、私は、元プロレスラ―で後のストロング小林さん(ストロング金剛さん)とご縁が出来ました。
猪木さんは、ストロング小林さんとも、壮絶な戦いをしていて金剛さんは当センターの平塚教室へ15回も来てくださったことがあります。
わが家にも10回程泊まった事から猪木さんの本来の素晴らしさを良く語ってくれました。
そのストロング小林さんは昨年の大晦日に80歳で逝去されました。
今は天国で再会をしていると想像します。
改めてご冥福をお祈りいたします。
今日の日も明るい心で昨日より良き日となりますよう
湘南話し方センター
所長 松永洋忠